COLUMN

ソーシャルワーカーの視点から失敗や過ちを受け入れる社会について考えてみたよ

 

僕のもともとの専門は、ソーシャルワークでして、若い頃はソーシャルワーカーとして様々なシーンで支援活動を行っていました。

その中でも特に印象的だったのは、2年程少年刑務所等更生施設でソーシャルワークを行っていた時でしょうか。

更生保護に携わっていて思ったのは、人間というのは時として間違いを犯すということです。

誰しも犯罪者になろうとしてなった者ばかりではないんですね。

もちろん犯罪自体は許されるべきものではないし、被害者のことを考えればきっちりと罪を償わなければいけない。

やってしまったことは絶対に消し去ることは出来ない。

僕たちソーシャルワーカーは、彼らと向き合い、自分が犯してしまった罪に正面から向き合い自覚させることから始まります。

自分の犯した罪を言葉にするというのは、彼らにとって非常に難しい作業になります。

しかし、これらに自覚的にならなければ、彼らは次のステップには行けないのです。

彼らは、窃盗や殺人未遂、性犯罪、覚醒剤といった様々な罪を犯し、更生施設に入っています。

彼らの取り巻く環境や生い立ち、性格からIQに至るまで多くの情報を元に、彼らの支援を行います。

いろんなケースを担当していて思うことは、強ち彼らだけを責めることはできないということです。

もちろん、やってしまったのは本人であることは間違いありません。

しかし、多くの場合家庭環境が複雑であったり、良好な親子関係ではないようなケースが見られるのは事実です。

罪を憎んで人を憎まずという言葉があります。

人の過ちを、その人の問題だと帰結させるのはあまりにも安易ということです。

その人を形作るのは、親子関係を始めとする様々な人間関係であり、我々が生きる社会そのものであるということを忘れてはいけません。

個人の責任だと言うのは簡単です。

しかし、問題はそう簡単なものではないと思うのです。

僕たちの生きる社会が、ある意味失敗を許せる社会であればいいなぁと思います。

一度の過ちで潰される社会であれば、もう誰も挑戦することをしなくなるのではないか。

人間って失敗するもんだし、過ちを犯すもんなんですよね。

誰もがそれを繰り返しながら成長していく。

大人になった時、若い頃の行いを悔やんだりするものです。

迷惑をかけないで生きていくことなんて不可能です。

人は少なからず人に迷惑をかけ、人に頼りながら生きています。

そうやって目には見えないところで支え合ってるんだと思います。

そう考えれば、もう少し寛容的になれるんじゃないかと思うんですね。

世の中には、許される過ちと、そうではない過ちがあります。

社会全体がそういうことを重く受け止め、考えていく責任があります。

我々がこれからどういう社会を目指していくのかということを、一人一人が考えていく必要があるのではないかと思います。

むしろ、安易に責め立てることが、問題を複雑にさせているのかもしれません。

 

 

 

 

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Rikuo

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